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ボグマロビーチの落日


2日目 悲恋の岬と、インド発展の礎
2007年1月27日(土)

1日目 一路ゴアへ、マンドーヴィーの夕べ

午前9時半、灼熱の日差しが降り注ぎ始めている「ドナ・パウラ(Dona Paula)岬」。
ここに立ったらふと、荒々しい岩場以外の共通点はないが、学生の頃訪れた真冬の函館、与謝野晶子の詩で知られる「立待岬」を思い出していた。

実はこの岬には、伝説がある。
昔々、当時領主であったポルトガル総督の娘と、ハンサムな、ただし貧しい漁村の青年が、恋に落ちた。


ドナ・パウラ岬にて

紺碧の瞳と、庭先に咲くブーゲンビリアのような真紅の頬をした端正な顔立ち、透き通るように色白で華奢な娘。
物憂げな、しかし大海の彼方まで見渡たさんばかりの強い視線を持つ、小麦色にたくましく日焼けした青年は、娘を見つめ、りりしい眉を寄せ真剣にささやくのである。

「どうしたというのだ、君の瞳は。アラビア海がそっくり溶けてしまったのか!」
「。。。」

そう、青年はコンカニ(Konkani)語、娘はポルトガル語しか分からないのであった。
だが言葉など通じなくとも、まぶしいゴアの太陽の下、ただ見つめ合い、微笑み合う、それだけで、恋する2人には十分すぎるぐらいの幸福なひと時であったということじゃ。

しかし当然ながら、領主と土民という決定的な身分の違いは容赦なく周囲の強硬な反対を煽り、思い詰めた彼らは、この障害を乗り越えるには天国で一緒になるしかないと、2人で岬から海へ飛び込んでしまった。
数日後、遺体は別々の浜辺、現在呼ばれるところのミラマー・ビーチ、ドナ・パウラ・ビーチに流れ着き、これは青年と娘の名がそれぞれ冠されたものだという。


今にも海へ


パナジ教会

さて、ひとまず午前中の目標は「ゴアにおける植民地時代の名残を、気温面とやる気面を重視しつつ観覧する」ということにした。

高台に建つパナジ教会は遠くから見ると完全に正三角形の堂々たるバランスであり、市街地の交差点にデンと構えている。
真っ白い建物の正面には、ブルーを基調にしたマリア像が佇む。

残念ながら、いかにも偏屈そうな守衛のオッサンに「クリスチャン以外はダメ」と止められ、内部にこそ入れなかったが、近所に住んでいたらわたしも癒しを求めて通うだろうなぁ、と思えるような、水を打ったような静かで平安な空気が流れていた。

気を取り直し、古い教会の数々が今でも往時を偲ぶオールド・ゴアへ向かった。


パナジ教会前


ボム・ジェズ教会


フランシスコ・ザビエル(St. Fransisco Xavier)のミイラが安置され、世界遺産にも登録されているポム・ジェズ教会(Basilica of Bom Jesus)は、まずその建物がものすごい迫力だった。
垂直に切り立つ煤けた正面外壁は500年の歴史を感じさせ、不気味なほど巨大でありながら繊細であり、今からザビエルの遺体と対面するのだという緊張感を否応なしに高める。

フランシスコ・ザビエルの遺体は12年に一度のみ公開されると聞いていたが、実際には聖堂内正面向かって右脇の、薄暗い祭壇の高いところに備えられたガラスの棺に、首をややすくめたような感じで窮屈そうに収まる彼を拝むことができる。

飛行機もなかった時代、日本を含め、はるか東洋の諸国を航海して巡りつつキリスト教布教のため尽力し、そのままゴアの地に骨を埋めた聖者の御姿を前にし感慨に更ける。


内部の見事な装飾


ボム・ジェズ教会裏側


我々も例外なくカメラを向けてしまったが、群がる観光客らのシャッターが絶え間なく光る中、ザビエルさんは安らかに眠れているといいのだが。

ひんやりした教会内部にはこのほか、聖堂中央の壮麗な黄金の天使像をはじめ、見どころがたくさんある。
ポム・ジェズ教会隣の敷地にある真っ白で大きな聖フランシス教会(Church of St. Francis of Assisi)も、内部の装飾が見事だった。

教会見物を終えて外へ出ると、お日様はもう天空のてっぺんに燦燦と輝き、ゴアの空気は存分に熱せられ、まさに海水浴日和という感じであった。

しかし文科系のわたしは、こんな日差しの中とてもビーチに行く気分になれず、次の目的地をバスコ・ダ・ガマ(Vasco Da Gama)に設定すると、そそくさと「地球の歩き方」を開いてお昼のレストランを探した。


聖フランシス教会


パナジの路地

ゆうべから気になっていたパナジのカフェ「ヴィナイト(Hotel Venite)」にしようということになり、パナジ教会前の駐車場に車を止め、周辺の街並みを散策しながら向かうことにした。

仕立て屋や商店などに人々の生活を垣間見ながら、色鮮やかな壁で彩られたパナジの路地を歩いていると、まるでポルトガルの田舎町に迷い込んだような気分になり、やはりその国とゆかりが深く、小さい頃暮らしたことのある長崎を思い出させた。
「ヴィナイト」は思ったよりこじんまりとしたところで、センスの良いインテリアと居心地の良さが特徴だ。
小さく張り出したテラス席に陣取り、ひとまずビールを注文すると、凍らせたジョッキがどんと置かれ、これまた摂氏0度ぐらいまでキンキンに冷やされたビールをなみなみと注いでくれた。
さらに、注文したポルトガル風海鮮パスタ「Alio Olio(130ルピー)」なる料理がまた絶品だった。


ヴィナイトから


「Alio Olio」
新鮮なイカや海老、牡蠣がふんだんに使われ、塩コショウを基本にしたシンプルな味付けは、おそらく日本人好みだと思う。
味オンチなわたしが言うのもおこがましいが、インドにおけるゴアは美酒・美食天国かもしれない。
空港のあるヴァスコ・ダ・ガマ市はパナジからおよそ20キロ、車で約40分ほど南に進む。
あまり観光化されていないらしく街は静かだったが、ここはマンガンやボーキサイトなどを世界中に向けて積み出す大きな港があることで有名だ。
「パイロット・ポイント(Pilot Point)」という港の見える丘の上から、絶え間なく行き交う幾多の外国船籍や、うなりを上げて稼動するクレーンを眺め、発展しゆくインドの一面を実感した。


パイロット・ポイントから


躍進するインド


パイロット・ポイントのタパリ(小さな茶屋)でチャーイを飲みつつ、シッダールタさんがインド版ガイドブック(Outlook Traveller)で見つけた「日本庭園(Japanese Garden)」が近くにあるから行こうと提案した。
うっそうとした木々が密集する庭園自体はなんとも寂れ朽ち果てており、どこに日本的コンセプトが反映してあるのか苦笑いを禁じえない状態だった。
かつての開園当時、どういった意図で日本庭園などと名づけられたのかが気になるところだ。


木々の間から


なんとなくジャパニーズ

しかしそこでめげずに敷地内を奥に進んでいくと、意外な発見があった。

公園の終わりと思しき地点に近づくと視界が開け、唐突に青い海が目に飛び込み、その先には階段が続いていて、地元の漁民しかいない静かで小さな浜辺に降りていけるようになっているのだ。
周囲をぐるりと崖に囲まれたこの白砂の浜辺は、まあ日本的と言えないこともないかな、などと無理に日本庭園と関連付けつつ、しばし水遊びを楽しんだ。

シッダールタさんは調子に乗って浅瀬の岩場に登ろうとし、すべって足を若干怪我するなどという不覚の事態に、やや反省するという一場面もあった。


問題の岩場。


ミサイル

そうこうしているうちにお日様がだいぶ傾いてきたので、夕方5時まで開館しているという「海軍・空軍博物館(Naval Aviation Museum)」(入館料大人1人10ルピー)へと急いだ。
ヴァスコ・ダ・ガマは海軍の拠点があることでも知られている。
静かな博物館は規模こそそれほど大きくはないものの、よく手入れが行き届いていた。
実物のミサイルや弾頭、脱出装備はロシアやEU諸国からの輸入ほか、近年は国内においても兵器や運搬手段の製造が盛んになっていることがよく分かった。
また、海軍や空軍のユニフォームほか、インディラ・ガンディ元首相含む軍幹部が写り込んだ、往時の写真なども数多く展示されており、屋外には現役を終えた戦闘機やヘリコプターが置かれている。
中でも兵士を国境地帯へ運ぶチャーター機は、中に入って見学できるようになっていて、シートが実際に兵士たちで埋まっていた当時に想像が膨らんだ。


軍服サリー!?


ヴァスコ・ダ・ガマ市街にて

見学を終えた頃にはすっかり喉が渇き、博物館脇の売店でリムカを一気飲みした。

やや疲れてきたので、パナジへ戻る前に、空港すぐ近くのボグマロ・ビーチ(Bogmalo Beach)で、ゆったりと沈む夕日を眺めつつ一休みすることにした。
ここのビーチでは、どの店にもアイスクリームがバニラとストロベリーの2種類しかなく、やや不満であったが、シッダールタさんはビールさえあれば言うことなしという感じで取り合ってくれはしなかった。

この日は夜、パナジ市内のバーをはしごする自主ツアーを企画していたのに、ホテルに戻るなり晩御飯を食べながらうたた寝してしまう始末であった。

関連リンク −
1日目 一路ゴアへ、マンドーヴィーの夕べ
3日目 ひたすら海へ

参考資料: 地球の歩き方B インド 04〜05年版(ダイヤモンド社)
「GOA」(OUTLOOK Traveller)

 

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