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ガンディの9/11、「SATYAGRAHA」から100年
2006.9.11(月) Yoko Deshmukh with the help of Sunday Times

ニューヨークの貿易センタービルが崩壊した、あの悪夢の同時多発テロから、既に5年が経過した。
今なお、9/11と聞いて人々が真っ先に思い浮かべるのは、ユナイテッド航空がまっすぐ激突し、崩れ落ちてゆくツインタワーを映した、目を疑うような衝撃的なテレビ映像だろう。

一方で、インドの人たちとっての9/11は、皮肉な偶然だが、全く正反対の意味を持つ歴史が造られた記念日でもあるのだ。

1906年9月11日、今日からちょうど100年前のこの日に、弁護士として南アフリカに赴任していたモハンダース・カラムチャーンド・ガンディ(Mohandas Karamchand Gandhi)は、ヨハネスブルグにあったEmpire Theatreで大規模な集会を開いた。
のちにマハートマ(偉大なる)ガンディと呼ばれることになるその人だ。

それは、英国が定めようとしていた人種差別法、「Draft Asiatic Ordinance(アジア人種に指紋の登録と、その登録証の携帯を義務付ける法)」に抵抗し、施行されてもインド国民はそれに「従わない」と宣誓するための集会だった。

翌9月12日付のヨハネスブルグ紙Rand Dailyは、人類史上かつてない最も崇高な運動の幕開けを、次のように伝えている。
「(前略)集会の規模、群集の熱意――文字通り彼らは、生活の糧を失う覚悟でその日の仕事すら投げ打って参加していた――、そして各々の表情の真剣さは、差別的で理不尽な法律に対する彼らの憤りをそのまま表していた」

だが轟々と渦巻いた人々の感情は、これまで何千、何万回と繰り返されてきた暴動や殺戮などへ結びつくことは決してなかった。
ガンディはこの日、群集に次のように語り聞かせている。
「本日ここに集った我々インド人は、この差別的な法律に一切『従わない』道を選んだ。だが、このことによって発生するだろう、いかなる処罰や拷問も同時に覚悟してほしい。時には想像を絶する苦難に耐えなければならないかもしれない。しかしこれらの試練を静かに、勇敢に受け入れるならば、それらの嵐は必ず去り、ゴールは近いだろう。」

のちに歴史家、Robert A Huttenbackは著書の中で、
「高らかなその熱意の謳い上げに、Transvaal州のインド人たちは賛同し、この試練を受け入れることを誓った。歴史的にも全く前例のない、斬新な政治テクニックがこの日、ここで産声を上げた」と書いている。
世界中の誰もにとって伝説となった非暴力・不服従運動、「SATYAGRAHA」の始まりだ。

Satyagrahaとは、「愛/真理」を意味するサンスクリット語「Satya」と、「力/堅い意志」を示す「Agraha」を組み合わせた造語だ。
前代未聞のムーブメントにふさわしい呼称を、ガンディが当時発行していた雑誌「Indian Opinion」の中で読者に公募した結果、挙がった候補に由来する。

こうして生まれたSatyagrahaは、果たしてそれから一世紀に渡り、ジュリウス・ニエレレ(Julius Nyerere、初代タンザニア大統領、アフリカの統一を目指して尽力)やケネス・カウンダ(Kenneth Kaunda、ザンビア前大統領で、同国のヒューマニズム提唱者)を皮切りに、ネルソン・マンデラ(Nelson Mandela、南アフリカ前大統領)、マーチン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King Jr.)、アウン・サン・スー・チー(Aun San Suu Kyi)、ダライ・ラマ(Dalai Lama)、レフ・ワレサ(Lech Walesa、ポーランド元首相、同国の民主化に尽くし、ノーベル平和賞を受賞)など、世界中の指導者に大きな影響を与えてきた。

ではSatyagrahaは、テロの脅威に支配され、国家そのものがますます暴力と圧力の色を濃くする21世紀の世界情勢において、大きな政治的目標を達するための手段たり得るのだろうか。
2006年9月10日付Times of India日曜版では、この疑問に対し、以下のように説明している。

まず、Satyagrahaは現代でも間違いなく効果がある。
ただし、遂行するには十分な時間を掛けて人々を教育する必要があり、さらにその対象となる対立陣営側にも、道義心や道徳心が備わっていることが条件となる。
「敵の心との戦い」だ。

だが一旦、的を射抜いてしまえば、その効力は甚大であり強力で、しかも長期に渡り「敵」の内に留まり続ける。
例えば1914年、ガンディは母国の独立運動に参加するため、21年間暮らした南アフリカを去った。
彼が主導した「不服従」運動を取り締まっていたJan Smuts英総統は、「お偉い聖人がとうとう永遠に南アフリカを去った」と手放しで喜んだと伝えられている。
その後、第二次世界大戦で英チャーチルの戦時内閣に加わったSmutsは、ある会合の場で英首相が、ガンディを名指して「国賊」呼ばわりしたことに対し、「いやそれは違う。彼は地球上に出現を許された最も偉大な人物だ」と応じたという。
同紙はSatyagrahaの及ぼす真の効果がここに示された、と説明する。

しかし残念なことに、独裁政治に対してはSatyagrahaがさほどの効力を持たないことは、ガンディ自身もよく心得ていたようだ。
1937年にガンディを訪問した中国のある政界指導者に対し、日本軍の一方的な侵略に非暴力で対抗するには、民衆に対する長期的な教育と、考えうる限り最善の方法を練らなければならないと諭したという。

オサマ・ビン・ラデンとジョージ・W・ブッシュ(米大統領)に至っては、この国では21世紀の2大独裁者と例えられている。
一対一での政治的交渉を必要とするSatyagrahaは、正体を隠し、道義心や道徳心もなく無差別に攻撃を仕掛けるアル・カイダには、大きな意味を持たないだろう。
そしてイラク平定に失敗し続けている米国は、イラク民衆の「心」を理解することができていないことは明らかだ。

ガンディが100年前に始めた新しい試み、それはあまりに先進的であり、100年掛かっても人類はついてこれなかった。
約60年前に彼のおかげで自由を勝ち得、その恩恵を今まさに謳歌するインドの人々ですら、多くが歴史上の一出来事と捉え、急速に興味を失っている事実が悲しい。

暴力を用いた戦いは敵の抹消や拒絶を目的とするのに対し、非暴力の実践は決して相手を否定せず、そればかりか相手を受け入れた上で、その良心や道義心に訴える戦いなのだ。
このような戦い方は、高度な人間の頭脳だけが実現できることなのではないだろうか。


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