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インドをもっと知ろう!


ガンディとともに生きた旧東ドイツ大使逝去
2006.4.4(火) Hindustan Times, Berlin Diary

Berlin, March 28, 2006
インドを愛し、特にマハトマ・ガンディの思想を心より慕って渡印し、のちに初の旧東ドイツ大使として両国の橋渡しに活躍、その生涯をインドとの深い繋がりによって紡いできたヘルベルト・フィッチャー(Herbert Fischer)さんが先日、ベルリンの自宅にて91歳で静かにこの世を去った。

1930年代前半、ドイツ改革運動に参加していたフィッチャーさんは、当時インドで自由独立運動を率いていたインドのマハトマ・ガンディ(Mahatma Gandhi、本名Mohandas Gandhi)に憧れ、面会を希望する手紙を送り、ガンディは秘書を経由してそれを受け入れた。

そこでフィッチャーさんはドイツからの途方もない距離を、徒歩、自転車、バス、列車、船を乗り継ぎ、1936年の暮れ、当時ガンディが活動の拠点にしていたセーヴァーグラーム(Sevagram、奉仕の村)のアシュラムに辿り着いた。

セーヴァーグラームはマハーラシュトラ州ワルダー(Wardha)地方にあり、ナーグプルから南西約70キロに位置する。


そこではガンディが、「Swades(国産品の奨励)」の原点となる手織り衣類生産の奨励や、不可触民と呼ばれる人々の生活や地位の向上を目指し、共同生活を行っていた。

セーヴァーグラームでの数年間ほぼ毎日ガンディのもとへ通い、インド独立運動の一端に参加したり、同地方の農業開拓の筆頭を務めたこともあった。

第二次世界大戦中の1947年、徴兵されいったん母国へ帰ったフィッチャーさんだが、彼とその妻ルシール(Lucille)さんは、そのわずか1年後の1948年、ガンディが暗殺され逝去するまで、直接連絡を取り続けていたという。

戦後は教師となり、のちに高校の校長も務めたが、1950年代半ば旧東ドイツの外務省に就職、在インド通商代表として再びインドへ戻った。
インドと旧東ドイツとの正式な国交樹立を機に、1972年インドで最初の東ドイツ大使に任命された。

その他大勢の同僚とは対照的に、赴任国インドを心から愛し、皆にインド博士と呼ばれるほどだった。
公私に渡り、ガンディと共に過ごした日々に身に付けたことを体現しようと終始試みるフィッチャー大使の一貫した姿は、インド人だけでなくドイツ人からも高く尊敬される存在となった。

晩年も極めて活動的であり続け、ガンディの生涯と自らの関わりをまとめた著書「Mahatma Gandhi -- Persönlichkeit und Gestalter seiner Zeit(ドイツ語、英語)」(1982年)や「Unterwegs zu Gandhi(ドイツ語)」(2002年)を遺した。


かなり小さいですが
バジパイ首相と
フィッチャーさん

さらに印独協会(Indo German Association)の名誉会長であったばかりでなく、2003年5月には当時のバジパイ(Vajpayee)首相より、外国人には大変稀な、民間栄誉賞として三番目に名誉あるとされるPadma Bhushan賞を授与された。

ガンディの非暴力と宗教への寛容に対するこだわりを、未来への希望と信じて持ち続けたフィッチャーさんの死去により、生前のガンディを直接知るおそらく最後の外国人が失われてしまったことになる。

その生涯に幕を下ろす瞬間は、歩んできた人生そのもののごとく、冷静と威厳に満ちていたと伝えられている。
今年1月26日の共和国記念日に在ベルリン大使館へ宛てた、「ますます素晴しい国になりますように」という公式メッセージが、彼が心の底から愛し見守ってきた国への最後の挨拶となった。

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多くの場合、外国人ばかりでなくインド人でさえ悪く言うこの国ですが、フィッチャーさんやソニア・ガンディ、マザーテレサなど、心から愛し尽くしている外国人の存在が、今のわたしの心の支えです。

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