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マハートマ・ガンディの友人がまた一人逝去
2006.8.3(木)
Indo Asian News Service
London:
国連開発職員で、インド独立運動の父マハートマ・ガンディの友人だった英国人、リチャード・シモンズ(Richard Symonds)氏が、87歳で亡くなった。
英領植民地時代から、最も素晴らしい人物として賞賛されてきたシモンズ氏は、戦後インドはじめ新たに解放された旧植民地各国の混乱に対し、幅広い人道支援を行ってきた。
かつてガンディを始めとした活動家が平和運動などの拠点としていたビルラ邸(Birla House、現Gandhi Smriti)で、自らのチャリティ医療機関「Symonds Medica Treatment」の設立を主張したこともあった。
オックスフォード大学卒業後の1939年、人道支援団体「Friends Ambulance Unit(FAU)」に参加、第二次世界大戦中、東インド地域に旧日本空軍攻撃の危機が迫ると、カルカッタの民間防衛に携ってベンガル政府をサポートした。
The Times紙に掲載された死亡欄によると、その後引き続きベンガル政府の救援復旧活動に従事、「(友人であるマハートマ)ガンディはシモンズ氏が公人であるゆえに活動に邪魔が入ることもあるだろうと忠告したが、まさにその通りだった。しかしこの時の経験がその後役に立った」と記述している。
インドとパキスタンの分離独立に伴い、1947年に起こった暴動発生時には、混乱の中パキスタンへ視察のため険しい長旅を敢行、西カシミールにて腸チフスを患い倒れるまで、両国内に残る少数派の保護やオブザーバーとして尽力し、その際の活動は現在「Friends Service Unit」と呼ばれる人道支援団体として意志を継承している。
病床に倒れたシモンズ氏を、ガンディはすぐさまビルラ邸に引き取り手当てを行うよう手配したといい、そこで1ヶ月ほど療養した。
既に政界幹部らが次々に見舞いに訪れるほどの人物として尊重されていたが、ガンディには「もう回復できるとは思えない、私はこの世を去るときなのかもしれない。」などと弱音を吐いたこともあったそうだ。
その後無事回復し、1948年にはカシミール地方の紛争解決策を見出すべくインド側及びパキスタン側双方の国連委員に採用された。
代表的な著作として、パキスタン成立までの流れを書いた「The Making of Pakistan(1950)」、「Oxford and Empire -the Last Lost Cause?(著作時期不明)」、インド亜大陸で行った数々の人道支援活動の模様を描いた「In the Margins of Independence(2001)」などがある。
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人間としてのガンディを知る人が、また一人この世を去ってしまいました。
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